Liber Primus 第一之書

購入した本、読んだ本などについて書いていきます

Liber Primus

新着図書:『ソシュールの思想』『男性の誕生』

丸山圭三郎ソシュールの思想』岩波書店

前のエントリで書いた、丸山圭三郎の主著(?)。これと、同著者による講談社学術文庫の『ソシュールを読む』を揃えれば、とりあえずソシュールに関しては十分かもしれない。

ところで、本書とともにカートに入れたと書いた、レヴィ=ストロース『親族の基本構造』は、古書でも1万円近くするので結局見送ることにして、代わりにずっと以前に買ってそのままになっていた『構造人類学』を読めばよいということにした:-p

 

▼M-L・フォン・フランツ『男性の誕生 「黄金のろば」の深層』(松代洋一/高橋美奈子訳 ちくま学芸文庫

ユングの共同研究者にして分析家である著者が、古代ローマにおける散文作品に材を取り、男性の精神的な成長について論じたもの。裏表紙の内容紹介には、「女性は女性で『ある』が、男性は男性に『ならねばならない』。では、男性が精神的な成熟を得るには、なにが必要とされるのか」とあって、やはり男はつらいとつくづく思われたことであった:-p

 

読了:ポール・クグラー『言葉の錬金術 元型言語学の試み』

ポール・クグラー『言葉の錬金術 元型言語学の試み』(森岡正芳訳 どうぶつ社

 

著者はアメリカのユング派分析家で、書名のとおり心理学的元型についての論考。この本は小著ではあるが、異色の書、問題提起の書と言っていいだろう。普通、ユング心理学関係の書物で「元型」が取り上げられる際には、まずもって夢や描画といった象徴としての視覚的イメージを通して元型が語られるだろう。しかし本書ではそういったことは一切触れられない。その代わりに、副題にあるように言語論から元型を考えようとしている(原題は "The Alchemy of Discourse")。

 

ユングは臨床活動の初期に言語連想実験というものを行なっている。これはさまざまな刺戟語を被検者に与え、連想する語を答えさせて、反応までの時間をストップウォッチで測るというもの。刺戟語に対して有意に反応時間が遅れる反応語は、意味の上では刺戟語とはかけ離れていて、むしろ刺戟語との音韻的な類似が際立つようになるという。著者はこの現象を次のように説明している。被検者の無意識的なレベルでは、情緒的な色彩を伴う意味概念の連合、すなわち元型が存在しており、元型は音韻として類似した、しかし意味としては一見かけ離れた語によって表示される概念内容を「束ねて」いる。つまり意識的なレベルでは、語の意味として一見つながらないように見える概念が、実は無意識的な次元では関連し合っている、というのである。そのために、刺戟語に対して遅れた反応として連想される一見語呂合わせのような反応語は、実は単なる語呂合わせではなく、元型の輪郭を表わしているのだという。たとえば、carnation(カーネーション)、carnal(肉欲の)、carnage(流血)という、音韻的には類似しているが('car-')かけ離れた意味である語句=概念が、無意識的な次元では元型として意味を持った繋がりを成しているという。

 

そしてさらにこうしたことから、元型理論は、無意識的な次元においてさまざまな観念が意味的に構造化されていることを指摘するもので、その点でソシュール構造主義言語学と類縁であり、さらにはレヴィ=ストロース構造主義人類学の構想に先んじているというのだ!(レヴィ=ストロースは、実はユングの元型理論から影響を受けているのではないか〔出版年代からはユングの方が先んじている〕という大胆な推論まで行なっている)。

 

ユング心理学関係の本でありがちな、神話や昔話などについて触れることは全くせずに、元型理論構造主義言語学を接合しようとする試みは極めて独創的で、どこまで裏づけられるかはさておくとしても、問題提起の書であることは間違いない。ソシュールレヴィ=ストロースも不勉強ゆえろくに知らないので、ちょっと読んでみなければという気にさせられた。

新着図書:C. G. Jung "Introduction to Jungian Psychology"

C. G. Jung "Introduction to Jungian Psychology: Notes of the Seminar on Analytical Psychology Given in 1925" Edited by William McGuire, Translated by R. F. C. Hull, Introduction by Sonu Shamdasani, Princeton University Press

 

先日のエントリで書いた表題の書籍がもう到着した。最近は船便でも速いなと思ったら、なんとエアメイルで来ている。Book Depository は送料無料が売りなのだが、航空便を使っても利益が出るようにしているというのは大したもの。以前は確か本拠地をイギリス海峡にあるガーンジー島に置いていて、当地はイギリスの中でも特別な自治権があってタックス・ヘイブンになっているので、利益を出せているのかなと想像していた。しかし数年前にアマゾン傘下に入ったという話は聞いていて、送り状を見ると会社の所在地は本土イングランドのグロスターになっている。税制上の特権はなさそうなので、どうやっているのか謎ではある。買う側としては有り難い限りなので、このままうまくやっていって欲しいところだ。

欲望

本を買うと、また次の本を買いたくなるものらしい。

 

先日購入したクグラー『言葉の錬金術 元型言語学の試み森岡正芳訳 どうぶつ社を読んでいたら、ユングの元型理論レヴィ=ストロースに対する影響や、ソシュール構造主義言語学との類縁性が指摘されていて、どちらにも疎いのでこれは買わねばと、早速ネット書店のカートに次の本を入れた。

 

レヴィ=ストロース『親族の基本構造』(福井和美訳 青弓社

丸山圭三郎ソシュールの思想』(岩波書店

 

『親族の基本構造』は、以前に番町書房から邦訳が出ていたが、これは別の訳者による新訳。調べてみると、旧訳は人類学の専門家が訳していて専門用語の翻訳は正確だが甚だ読みづらいらしい。新訳はプロの翻訳家によるもののようで、全く別物のように読みやすくなっている様子。高価な本だが、レヴィ=ストロース初期の代表作でもあるし、新訳の方を購入リストに入れることにした。

 

ソシュールの言語理論について知りたいのなら、本来であればソシュール自身が書いたものを読むべきなのだろうが、そもそも自らの思想を著書として残さず、講義ノートと聴講者による講義録しかないところから始めるのは大変すぎる。そこで代わりに、ソシュール研究の第一人者であった著者による『ソシュールの思想』を選ぶことにした。アマゾンのカスタマーレビューを見ると、丸山圭三郎が本場フランスの研究者を凌ぐほどの、ソシュール研究の世界的権威であったことがわかる。丸山は言語学から出発して、その後独自の思想を展開したようで、ソシュール言語学に収まらないさまざまな著書がある。そうしたもののなかの小著は持っていたが、源流であるソシュール研究については全く知らなかったので、これも必携の書ではあるだろう。

新着図書:中公新書ほか

先日のブックオフオンライン10%割引セールで購入したものがもう到着。

 

岡田温司マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女

    『処女懐胎 描かれた「奇跡」と「聖家族」

    『キリストの身体 血と肉と愛の傷

    『アダムとイヴ 語り継がれる「中心の神話」(以上中公新書

フランツ・カフカ『夢・アフォリズム・詩』(吉田仙太郎編訳 平凡社ライブラリー

アーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』小尾芙佐訳 ハヤカワ文庫SF)

ポール・クグラー『言葉の錬金術 元型言語学の試み森岡正芳訳 どうぶつ社

ネット書店の誘惑

リアル(古)書店に行くチャンスがなかなかないので、勢いネット書店を利用することが多い。さらに出物や割引セールがあったりすると、なおのこと引っかかってしまう。先日も、ブックオフオンラインで岡田温司中公新書四部作(?)他が激安だったのに加え、期間限定の10%割引クーポンもあったので購入。

 

返す刀で(?)、Book Depositoryからも来ていた10%割引クーポンを使って、最初期のユングの一般聴講者向けセミナーの記録である、"Introduction to Jungian Psychology: Notes of the Seminar on Analytical Psychology Given in 1925" (Edited by William McGuire, Translated by R. F. C. Hull, Introduction by Sonu Shamdasani, Princeton University Press)も註文した。

 

Book Depository は新刊書専門で、全世界送料無料を謳っているが、販売価格も安い。上記の本が、日本のアマゾンだとほぼ同じ価格+送料になるところを、さらに10%割引だからこれは買わない手はない。等ということが度重なって、ますますネット書店の術中にはまるのである。

新着図書:吉田城『神経症者のいる文学 —バルザックからプルーストまでー』

吉田城『神経症者のいる文学 バルザックからプルーストまでー』(名古屋大学出版会)

 

この本もアマゾンで激安(定価3605円のところ、古書で約600円)だったので購入。

書名どおりの内容のようだが、ぱらぱら見た感じでは、神経症とはなにかということについてもかなり紙幅を費やしていて(ピネルやエスキロールの名も見える)、フランス文学を精神医学的な視点から見る試みのようである。著者は40歳の若さで歿したフランス文学者だが、神経症を主題として近代フランス文学の通史的叙述を行なうというのは、フランス文学の専門家の間でもあまりなさそうな気もするので、なかなか興味深い。